対談:佐々木敦×山村浩二

 佐々木敦と山村浩二。音楽をはじめ表現メディアの枠を超えて活躍する批評家と日本のインディペンデント・アニメーション・シーンを代表する作家。この二人の名前が並ぶことは意外にも思えるが、実は共通点がある。二人は同い年で、同じ県の出身で、しかも、同じ高校の同級生でもあるのだ。「アニメーションズ・フェスティバル」は、普段アニメーションを観ない人にその魅力を知ってもらうことをひとつの重要な目的としている。それゆえに、さまざまなジャンルにおいて先鋭的・同時代な表現を追いつづけている佐々木氏にその率直な感想を話してもらう機会は、短編アニメーションの世界にとっても、その世界をこれから知ることになる人にとっても、有益であるに違いない。そのように考えて企画されたこの対談、話は事前の予想以上にディープに面白く広がっていった。ウェブでは劇場公開に先立ってその一部を先行掲載。音楽とアニメーションの思わぬ共通点をめぐって盛り上がりをみせた対談の全文は、劇場売りのカタログでどうぞ。(土居伸彰)


佐々木敦 今回のプログラム、すごい面白かった。僕はもちろんアニメーション全然観てないわけじゃないけど、専門的にというか集中して、例えば作家単位で見るとか、そういうことをあまりしてないっていうのがあって。90年代前半くらいまで映画を専門にしていたころがあって、それから音楽とかそれ以外の方向に仕事の範囲が広がっていって、単純に映像っていうことをわりとジャンルとしてベタに付き合うということをあんまりしなくなってしまった。例えばイメージフォーラムフェスティバルとか、山村さんの作品のロードショウがあったときに観にいったりとか、点として観ることはあったんですけどね。今回のようにフェスティバルっていうかたちで、わりと国もバラバラで、さらに新しい作家の作品っていうのをまとめてみる機会がなかった。AプログラムとBプログラム2つまとめてみると、相当バラエティとボリュームがありましたけど、あ、こういうことになってるんだって。かなり刺激を受けましたね。

山村浩二 ありがとうございます。アニメーションに関わっていれば、映画祭とか専門的な場所で観る機会はあるんですけど、なかなか一般的には当然見る機会がないんですよね。だから、僕らがここ数年観てきたもので、いいものをちゃんとしたかたちで紹介したいなと。映画祭に足を運ぶとなると、作品を作っているだとかよほどアニメーションに関係しているか、地元でたまたまやっているかじゃないと難しい。ちょうど今広島のフェスが終ったばかりですけど、アニメーションとよっぽどディープな関わりを持っていたり、関心がある人が観客の中心になってしまうんで。もし東京でやったとしてもおそらく同じことだと思う。アニメーションをある程度知っている人が見に来てしまう現状があるので、今回はその客層の幅を広げたいなと。今までアニメーションに接したことがない人でもひっかかるものがある作品が、かなり出てきているので。だから今回はいろいろな人に声をかけているんですけど......

佐々木 うん、うん。

山村 小さな特集でしか取り上げられなかったりだとか、アニメーションだけでまとめて紹介される機会が少ないんですね。実験映画の一部として上映されたり、特定の作家や国のまとまりで紹介されたりはある。でも、そういうやり方でアニメーションの系譜というものが見えてくるかっていうと、まだ紹介されてないと言ってもいいくらいの状況なんですよ。だから初めての試みかもしれないですね。

佐々木 今回のこのプログラムっていうのは、過去数年に作られたものから山村さんがピックアップ、セレクトして......

山村 アニメーションズを一緒にやっている土居くんと二人でセレクトしました。今回は土居くんの視線がかなり入ってます。まとめて観ることで同時に個々の作品が浮きでてくるかたちでプログラムを組みたいなと思って。多分今までの映画祭のキュレーションとは違う集めかたをしていると思ってるんですけどね。テーマがはっきりとあるというわけでもないんだよね?

土居伸彰 そうですね。基本的には、近年の作品で一定以上のクオリティがあるもののなかから、アクチュアリティーが強く感じられる作品を集めることを第一に考えました。さらにいえば、比較的見やすいというか、アニメーションのことを何も知らない人が観たとしても一見で面白いと絶対に思ってもらえそうなものを選んだつもりです。プログラムはAとBに分けましたが、作品同士がつながりあって相乗効果を起こして面白くなるようなかたちを目指しました。そこまではっきりとテーマを押し出すわけではないのですが、なんとなくのつながりが感じられるというか。ざっくりいっちゃうと、Aの方は「私対宇宙」、Bの方は「私対世界」、そんな感じの作品に分けて、プログラムを組みました。

山村 「宇宙」と「世界」っていうと同じような言葉に聞こえるんですけど、「世界」の方はどっちかっていうと現世の意味だよね。

土居 そうですね。


山村 「宇宙」はインナーワールドもふくめた、よりもっと神秘的な宇宙という意味合い。で、その、アニメーションがなかなかいろんな文化の文脈に載りにくいなと思っているのが、存在の仕方として、どうしても一作一作がバラバラで、孤独なんですよね。それをつなげてあげる見せ方っていうのが今まであまりされてこなかったんじゃないかな、っていうのがある。佐々木さんは具体的に書き手として刺激を受けた作品はありますか。

佐々木 一番面白かったのはデイヴィッド・オライリーだったんですよね。オライリーの二作は結構びっくりしたというか。(今回のチラシ等のデザインを担当している)戸塚(泰雄)くんが以前、池田(亮司)くんのことが好きなアニメーション作家がいるって言ってたのはまさに彼なんだよね? 僕はオライリーって人のことを全然知らなくて、作品観た後に検索してみたら、U2のビデオを撮ってる人だったりして、メジャーじゃん、って思ったんですけど。今回ここで選ばれている二作に関しては、音の使い方を含めて新鮮でしたね。特に『プリーズ・セイ・サムシング』は話としてはメロドラマ的なものなんだけども、映像表現のあり方として、かなりデジタルしてる感じじゃないですか。それがすごくキッチュな感じにも見えるんだけど、それが逆に、僕は新鮮だった。興奮しましたね。これはほんとに一コマずつで観たいというか。

 デイヴィッド・オライリー『プリーズ・セイ・サムシング』(2009)

山村 プリート・パルンはエストニアの作家なんですけど、彼はソ連時代、アニメーションの歴史の黄金時代の70年代前後というその頃、タリンフィルムというスタジオで働いていた。タリンはモスクワという中央から離れたところにあるけれども、でも当然検閲というか、中央の力の影響があるわけです。そんな状況でパルンが言われたのが、「君のアニメーションは正しくない」ということだったんです。

佐々木 「正しい」とかあるんですか(笑)。

山村 そうなんです。「正しくない、これはアニメーションになってないよ」と言われたわけです。地理的な関係性もあって、パルン自体はある程度自由に作っていたわけですけど、でも当時はかなり問題視されていた。すごく変わったものを作っていたということで、ソ連のなかでは、ある種の伝説の存在になっていた。その話をきいて、アニメーションに「正しい」とか「正しくない」というものが存在した時代があったのだな、と。でも今はといえば、僕はアニメーションズを作るときに、ある種の「正統性」というものがあるんじゃないかなと思っていた。評論するときに、何か軸になるものがなきゃいけないんじゃないかと。今は何が正しいのかという軸を求めるのがすごく難しい。

佐々木 なんでもありというのが本当に実現されちゃった感がありますもんね。方法論だけじゃなく、表現のありようとしても。そういう感じというのは、たぶんアニメーションだけでない。2001年以後、ほんとうに昔80年代くらいに言われていたポストモダンの状況というのが、あっさりと実現されているっていう感じがするわけです。ベタに言うと、なんでもありになっちゃった。でも、なんでもありというのは、困ったことでもあって、なんでもありだからといって、なんでもできるわけではないとすると、じゃあどうするんですかという問題がでてきて、そのなかで、個人に根ざして表現をする人というのは、昔よりも選択肢が異様にある分だけ、自分を定立するというのが、どうしたら根拠づけることができるかというのが難しくなってしまって、ただウケ線に走って……みたいなことがあるんだけど(笑)、そこで一個人としての自分というよりも、「わたくし」というのが一体なんで他のことをしないでこれをしているのかという理由みたいなものをどうやって選ぶのか、確信を持って肯定するのかっていうのが、結構重要なことだと思うんですよね。だから、こういうこともできますよ、こういうこともできますよ、っていうような手法の提示みたいなことを次から次へと見せられていくと、「いや、そりゃできるでしょいくらでも」という気がむしろしちゃうと思うんですよ。だからむしろそうじゃなくて、一種の必然性というか、それがまさにさっき言われた正統性だと思うんですが、ある作品を観たときに、その人がこの作品をこういう表現の仕方を選んで、こういうものに結果的になっているということの必然性の強さみたいなものというのは、それはどこかで、観る人によっては伝わっている部分がきっとあると思うんですよね。そこが今はむしろ重要なんじゃないか。なんでもできるということは事実だけれども、なんでもできるのにあえてこれですっていうのが、観たいという感じがしますね。

 ブルース・ビックフォード『このマンガはお前の脳をダメにする』(2008)

山村 そうですね。こういうなかで「面白いな」と感じる作品は、今言った「作らざるを得ない必然性」がある作家のもの。そういう作品に、なにかしら惹き付けられるものがあるというか。もしくはそこもふくめて、戦略的にやる作家のどちらか。無垢な天然系か、ものすごく醒めている人。すべてわかったうえで、計算してやれている人。そのどちらかがかなりピッと飛び出てきているような気がする。今回のなかにも、両方の要素がすごく出ていて。さっきの文脈という話でいくと、アメリカ系の人が天然の人が多くて(笑)。

佐々木 なぜなんでしょうかね(笑)

山村 アメリカにはインディーズはないに等しいって話をきいたんです、前に。大スタジオの力が大きすぎて、アニメーションをやるっていったら、そこに就職するしかない。ディズニーやらピクサーやらに入るしか、アニメーションで生きていくという道はなくて。ヨーロッパや日本のインディペンデントの人たちは作りづらいという話をいろいろとしているけど、それどころじゃなく、よりアンダーグラウンドに潜っていかないと、作っていけないと。そうすると、ある種の天然な、変人みたいな人が残って(笑)。

佐々木 若干アウトサイダー・アート入って(笑)。

土居 まさにブルース・ビックフォードがその代表的な存在ですね。

山村 『このマンガはお前の脳をダメにする』。タイトルも面白いよね。

土居 意味がわからないんですけどね、何度観ても(笑)。

山村 彼の必然性は僕らには理解できないんですよね、なんでここまでやるのか。

佐々木 でも切実さは感じるという(笑)。

山村 それはすごくわかる、でも理由はわからない(笑)。


土居 さっきの正統性の話でいくと、アニメーションのまさに正統なものと、なんでもありのところから生まれてきたものの両方が、今回のプログラムには入ってます。一つは、プリート・パルンというエストニアの偉大な作家を中心とした軸や伝統がある。もちろん山村さんも影響を受けてますし、Bプログラムの最初のイゴール・コヴァリョフも、パルンの作品を観て、作風が変わった。コヴァリョフから、『HAND SOAP』(大山慶)だったり、『わからないブタ』(和田淳)だったりにつながる道がある。

山村 これはパルン文脈だね。

 プリート・パルン&オリガ・パルン『雨のダイバー』(2010)

土居 アニメーションズがアニメーションの正統性ということで考えてきた文脈でもある。その一方で、そういうのとはまったく関係ないところに突如として出てきた人も最近はいる。デイヴィッド・オライリーやドン・ハーツフェルトがそうです。僕のなかでは、今回はそういうふうにいくつかの中心があります。

 ドン・ハーツフェルト『あなたは私の誇り』(2008)

佐々木 外野的な感覚でみてると、東欧のアニメーションのファンって人がいるわけですよね。ヤン・シュヴァンクマイエルとか、ブラザーズ・クエイとか。ブラザーズ・クエイは、僕むかしシネ・ヴィヴァンという映画館に勤めていたんですけど、そのときに『ストリート・オブ・クロコダイル』を毎日上映してたから、よく覚えているんだけど(笑)。ああいういわゆる東欧系の、ちょっとグロテスクな想像力のもの、あるいは、グロテスクだけどかわいいというもののファンというのはやはりあるわけじゃないですか。そういう上映っていうのは定期的にいろいろなかたちでなされていたりだとか、DVDにもなっていたりすると。もう一方で、一種の、アカデミックな関心でアニメーションを研究している土居くんみたいな人もいると。でもたぶん今回のこういう映画祭は、ある意味、そういうデフォルトで来てくれることがわかる人達ではない人に、どうやって興味を持ってもらえるかというのが大きなポイントだと思うんですよね。僕なんかはまさにそのどちらのタイプでもないので、今回こういう機会があったので観たんですけど、ものすごくおもしろかったというか、うわ、こんなことになってたんだ、という、そういう驚きがあったので、そういうかたちで、ある意味アニメーションにもともと興味がなくても、アニメーションをほとんど見たことない人が、なんらかのフックで来てくれることがあると、そこで受け取れるものがすごくありそうなプログラムだと思いました。


(2010.8.16 ヤマムラアニメーションにて)

Top  概 要  対 談  コメント  Aプロ  Bプロ  Cプロ  劇場/タイムテーブル  チラシ  Animations
Animations Festival アンコール